大浦天主堂 正面外観(坂の途中から)
(写真は、大浦天主堂)

1945年の今日、8月9日午前11時02分に
長崎市に人類史上2発目の原子爆弾が
投下されました。

コードネーム「ファットマン」。

広島に落とされた「リトルボーイ」
よりも、ずんぐりと太い形状です。

広島への原爆投下から、わずか3日後。

インターネットなどの高度な情報システム
が整った現代とは異なり、
当時の日本人は、「広島に新型爆弾が
落とされて、大変な被害があったらしい」
としか知りません。

そんな中、長崎市は突如、
原爆の光に包まれたのです。

世界平和を築くには、ストーリーの共有による、深い相互理解が必要

人々は、戦時中なりに、家族や友人たちと
日常を過ごしていました。

広島・呉を舞台に、戦争開始から原爆
投下~終戦に至るまでの庶民の日常
生活を、感情の機微を丁寧に描いた
『この世界の片隅に』が、
大傑作アニメ映画
に続いて、
TBSでドラマ化もされて人気ですが、
長崎を舞台に、原爆投下直前の
庶民の日常を描いた名作映画もあります。

それが、黒木和雄監督の
『TOMORROW 明日』(1988年)。

これは泣けます。
まだ観ていない方はぜひ。

こうした日本の生活、人間一人一人の
心の内を見事に描き出すストーリーには
国境や文化の違いを超えて、お互いの
心を理解させ、打ち解けさせる力が
あります。

だからこそ、戦場ジャーナリストは
命を懸けて、危険な戦地で、「現実」の
ストーリーを切り取って世界に共有
しています。

映画や小説の作家は、人間の核心
=業の深さや、愛情の尊さなどを
表現することに腐心しています。

私たちは、過去の惨劇から、何かを
学ばなくてはならないのです。

宗教というストーリー

と、長崎と言えば、教会の多い国。

大浦天主堂で、被爆したマリア像を
見たアメリカ兵が、自らの罪深さを
認識して悔いた……なんてエピソード
を子どもの頃から繰り返し見聞きし
た記憶があるのですが……。

今回ググってみても、記憶の元と
なる話は見つかりませんでした。

しかし、浦上天主堂の廃墟から
出てきた “被爆のマリア像” は
世界平和訴求のために、2010年に
世界を巡ったそうです。

でも、これは「キリスト教」という
ストーリーから見た理解。

 参考:長崎の「被爆マリア像」が平和の象徴に、世界各地を巡礼 (AFPBB NEWS 2010年8月9日 17:08)

世界の人……キリスト教圏の人々は
長崎の悲劇をどう感じたのでしょう。

私は、子どもの頃、カソリックの
信徒として教育を受けましたから、
アメリカ兵が、長崎のマリア像を
見て罪を悔いたというストーリーを
ごく自然なこととして受け止めて
いました。

でも、よくよく考えると、その
ストーリーって、「感動的」でも
何でもなくて、
死屍累々たる日本人の死骸の山よりも
彼らの思考・信条の背骨である
“キリスト教のストーリー” の方が
彼らの心に、より良く響いたって
ことなんですよね。

そう考えると、少し腹立たしい気も。

けれど、キリスト教で育った人たちの
胸には、幾百の言葉より、
神の家である教会、そして聖母マリアが
爆弾ひとつで無残な姿をさらしたことの
衝撃を禁じ得ないであろうことは
理解できます。

浦上天主堂の遺構を、原爆の悲惨さを
後世に伝えるモニュメントとして残す
構想もあったようですが、
天主堂再建を願ってアメリカに
資金援助を求めた山口司教に対して、
アメリカ側は「遺構の撤去」を条件として
突きつけたそうです(↓ページ最下段参照)

まぁ、自分たちが神の家とマリア像および
諸々の聖人像を無残に破壊した事実を
見つめ続けるのは「辛い」という人も
多かったのだろうと思います。

だからこそ、ストーリーには、人種や宗教といった「社会通念」を超える深みを与えるべき

でもねぇ、複雑ですよねぇ。

先日、広島・原爆の日に書きましたが、
アメリカの白人には黒人のストーリーが
心からは響かなくて、理性で響く程度だった。
まして東洋の、卑劣な黄色人種のことなど
知ったことではなかったはずで、
『硫黄島からの手紙』でも
『シン・レッド・ライン』でも、
ささやかなトーチカに弾切れで潜む日本兵が
火炎放射器で焼け出される姿には、心底
胸が痛むのですが、イーストウッドはともかく
『シン・レッド・ライン』のテレンス・マリック
にとって、日本兵は背景程度の扱いなのかも…。

さんざん痛々しいシーンを見せられた後で
非常に呑気なポエム映像を展開された時は
どうしたらいいんだろう…と途方に暮れました。

結局、「相互理解のためのストーリーの共有」
って、お互いの社会通念を超えるところまで
踏み込んで、“理解し合えるポイント” を、
探らないと意味がないんですよ。

小説や映画なら、それは徹底した内面の掘り下げ。
人間の内面を、深く、正確に切り取ることで
人種や世代を超えた普遍性を獲得することが
できます。

感情的に心の表層をなぞるだけの“お涙頂戴”では
陳腐過ぎて、他人の…異文化で育った他人の心に
までは刺さりません。

ほんのちょっと原爆や戦争の設定を借りただけの
ストーリーでは、人の心に刺さりません。

分かりやすいたとえでいうと、
『ウルヴァリン:SAMURAI』の冒頭の展開を観て
「長崎への原爆投下は、非道だ!」って思う人
いませんよね?
あれ、ただのコミックストーリーのきっかけに
長崎の原爆を使ってるだけですもん。

そもそも、最近のハリウッドでは原水爆の
扱いが雑。

インディ・ジョーンズは、核実験場の爆心地から
冷蔵庫に隠れただけで無事生還。

ほかの諸々でも、小型核爆弾がテロリストに
よって炸裂しても、被害はたかが知れている……。

こんな風に、エンターテイメントの小道具として
消費され続けているうちに、若い日本人の中にも
原水爆の悲劇を軽んじる考えが散見されるように
なってきたなぁ……とか。

そんなことを考えた、2018年8月9日でした。
(下記の写真は、大浦天主堂とそのマリア像)
大浦天主堂 正面

大浦天主堂のマリア像

1955年(昭和30年)5月、前年に発生した第五福竜丸事件の影響により日本各地で原水爆禁止運動が盛んになると共に反米感情が高まる中、カトリック長崎司教・山口愛次郎は天主堂再建の資金援助を求めて渡米したが、米国側から資金援助の条件として天主堂遺構の撤去を求められたという[2]。ちょうど同じ頃、長崎市は米国ミネソタ州セントポール市との間で日米間の都市としては初めてとなる姉妹都市提携を締結[3]。当時長崎市長で天主堂遺構の保存に前向きであった田川務は、締結の翌年1956年(昭和31年)に米国を訪問したが、帰国後は保存に否定的な立場となるなど態度を一変させている[3]。1958年(昭和33年)の市議会では「原爆の必要性の可否について国際世論は二分されており、天主堂の廃墟が平和を守る唯一不可欠のものとは思えない。多額の市費を投じてまで残すつもりはない」と答弁し、議会決定に反して撤去を決定した。

浦上小教区の信徒で編成された「浦上天主堂再建委員会」は、信徒からの浄財及び寄付金による現地での再建計画を明らかにする。その動きを覚知した原爆資料保存委員会は、1958年(昭和33年)に『旧天主堂は貴重な被爆資料である故に遺構を保存したいので、再建には代替地を準備する』と提案した。しかし山口愛次郎は、『天主堂の立地には、江戸時代のキリスト教迫害時代の由緒ある土地を明治時代に労苦を重ねて入手したという歴史的な背景があり、保存委員会の意向は重々理解できるが移転は信仰上到底受け入れることはできない』という意思を決定した(浦上教会公式サイトにも同様の経過が記載されている)。

  Wikipedia 「カトリック浦上教会」原爆遺構の保存問題より