1945年8月6日午前8時15分、B-29エノラ・ゲイ号から
「リトル・ボーイ」の愛称で呼ばれた原子爆弾が
広島市に投下され、人類史上未曽有の惨劇を生んだ。

当日の経緯等は、Wikipediaに詳しい。
Wikipedia「広島市への原子爆弾投下」

この原爆投下に関して、私たち世代は普通に
「日本がなかなか終戦を受け入れないので、
アメリカは“戦争を終わらせるために”投下を決断した」
という説明を、「歴史の事実」として聞いてきた記憶が
あります。

でもこれ、アメリカ側の理屈ですよね。

本当に日本は、敗戦を受け入れられなかったのでしょう
か。戦争を終わらせる気がなかったのでしょうか。

まぁ、今も「終戦」という言葉に固執していますから
そういう意味では「敗戦」を未だ受け入れ切っていない
という事実はあると思います。

でも、本当に
「戦争を少しでも早く終わらせるために」という人道的
感情で、あの原子爆弾を投下できるものでしょうか?

たった1発で、町を丸ごと消してしまう爆弾を、
たった1発で、幾万人もの命を一瞬にして奪い、
さらに時間をかけて被爆者の命を奪い続ける
あれほど恐ろしい爆弾を、投下できるものでしょうか。

原爆投下は、間違いなく、人間の悪意によるものです。

人間の悪意は、底知れません。

「戦争を少しでも早く終わらせるために」なんて
言い分は、自分たちの残虐さに対するただの言い訳に
過ぎません。

「真珠湾攻撃への復讐だ」と言われた方が嘘がない
でしょう。

「人種差別」がマヒさせる感覚は何か?

つい先日、Blu-rayで『デトロイト』という映画を
観ました。

キャスリン・ビグロー監督が、1967年7月に発生した
デトロイト暴動を舞台にした作品でして、差別主義の
白人警官の狂気が描かれています。

同じ国、同じ町に住む黒人の存在を、あそこまで否定
できるのか……。

ならば、
「秘境にも真珠湾に奇襲攻撃をかけてきた東洋人」
であり、
「非道なナチスと手を組んでいたイエロー」
であり、
「太平洋の果てに住んでいる黄色人種」
など、絶滅させたって彼らは後悔しないでしょう。

実際、東京だけでも106回の空襲を受け、
1945年3月10日の下町空襲だけでも10万人以上
殺されました。いうまでもなく、ほとんどは民間人です。

アメリカが、日本に対して人道的な感情など
ほとんど持っていなかったと言って差支えないでしょう。

時折、「アメリカは、日本人を絶滅させる気だったのでは
ないか?」と疑問を持つことさえあります。

しかし、一方で日本人もまた、中国やフィリピンなどで
酷いことをしてきました。

いずれも根底にあるのは「相手国の人々」を軽視する、
蔑視する感情です。

相手を軽視・蔑視しなかった人たちの戦時中の美談は、
国籍を問わずに、世界中に残っています。

人は、人を軽んじることで、悪意に飲まれます。

世界が平和であるためには、対話が欠かせません。

今もまだ、世界は荒れています。
ISISをはじめ、悪質なテロが世界を覆い、
貧困と無知に端を発する悲惨な出来事も続いています。

今より少しでも世界が平和になれるよう、
アジアの片隅で祈りたいと思います。

そもそも、アインシュタインは原爆など望んで
いませんでした。

人類の進歩に貢献する偉大な発明や技術は、
常にもろ刃の刃です。

大切なことは、「人の心」を保つこと。

平和への祈りを絶やしてはいけない…。
改めて、そう思います。

2015年いわき市花火大会
(写真は、2015年の福島県のいわき市花火大会)