理不尽な「同調圧力」が、大嫌いなんです

昨日、明治大学の櫻井研究室にお世話になりました

会が終わった後で、平和商会 早野さんと、櫻井先生と
3人で食事をしながら話し合っていましたが、
この一日を通じて、はっきり思い出したことがあります。

それは、私自身が、日本の“村社会”的側面が大嫌いで、
非論理的な同調圧力の強さを心底嫌っていたことです。

普段はあまり意識していませんし、
最近は忘れがちなことでしたが、
子どもの頃に苦しめられた、親の決めつけ、
周囲の決めつけ、言外のルール、閉塞感。

小説や映画で大人気の松本清張の世界は、
子どもの私には、不条理ばかりでした。
今見ても、好きにはなれません。

破たんしたロジックでも、
強引に押し付けて、相手の気持ちを勝手に決めつけて
否定できない領域に追い込んで、「何か」を
封じ込めていく社会……それが子どもの頃に
感じていた、私の“日本という国”への印象でした。

発言を促すよりも、沈黙と我慢を美徳として、
コミュニケーションから生まれる合理的判断より、
各集団の思い込みの「純化」によって暴走する社会。

だから私は、ハリウッドを筆頭に海外の映画の中に
没頭していったことを思い出しました。

なぜそんなことを改めて思ったのか。

きっかけは、今ネットで注目されている「道徳」の
教科書にある「星野君の二塁打」の話です。

そもそも、私が嫌いな類の物語です。

一読して特にひっかかるのは、
監督が「絶対的な存在」として振舞おうとする姿で
あり、「自分の指示(バント)」を「チームで決め
た作戦」とすり替えていることです。

勝負に絶対はありません。

監督の指示に従ってバントに失敗して負けたら、
監督は、星野君を責めるのか?

さらに、ネットを見ていると、
「原作にあった大事なセリフが削られている」と
ありました。

それは、出場禁止を告げる監督に、星野君が
「異存はありません」と返答させていて、
“反省することの大切さ”を描いたという話。

これも、私にしてみれば「ナンセンス」です。

野球やっているのは、監督一人じゃない。

そもそも、教科書に引用されているという文章には
監督が就任した時の合意内容のあらまししか描かれ
ておらず、その後のコミュニケーションは不問。
監督を絶対視すべき根拠は何一つありません。

監督に対して、盲目的に従うのも愚だし、
選手を、盲目的に従わせるのも愚。

これを、「道徳」の授業で教えているという。

選んだ、選ばれた、というそれだけが根拠で、
後は盲従しなければならないのであれば、
民主主義政治なんて、成り立ちませんよ。

何のための教育なの?

この「星野君の二塁打」に関する記事を読んで
いて、日本における「対話の不在」について
改めて考えていた翌々日に、明治大学に
お邪魔したのです。

自由闊達に発言し、互いに敬意を忘れない社会を目指したい

昨日の会の最後に、櫻井先生は、ゼミ生たちに
次のように言いました。

みんなの場合だと、“質問”というものを「否定」と捉えている人がいるかもしれないですけれど、“質問”っていうのは、「肯定」なんです。
本当の質問というのは、「あなたに興味があります」ということです。だから、「コミュニケーションをとっている」んです。

まったく同じ思いです。

私も、「質問は贈り物」だと書きました。

それは、質問と「尋問」「詰問」「揚げ足どり」
区別がついていない人が多いと感じているからです。

何か、質問することで、「そんなことも知らないのか」
と思われるのが嫌だ、というパターンと、
質問することで、「相手に恥をかかせてしまう」という
パターンがあるように感じますが、どちらも

質問という行為に対する「誤解」から生じている行動
なんです。

質問する、ということは、その人の話に、
 “もっと知りたい内容”があった、という証し。

 “ちゃんと理解したい”という気持ちがある証し。

だから、ちゃんと質問されると、ウレシイものなんです。

「ソコキコ™」を使って遊んだ後の、ゼミ生たちの
あの笑顔も、それを立証しています。

質問に対するリアクションが、非常に明確に示されること
が、思いのほかに、面白いんです。楽しいんです。

だから、
 空気を読め
とか
 そのぐらい察しなさい
とか
 そんなことも分からないのか
といった言葉を、どんな時でも振り回すような社会は
大嫌いです。

私が「聞く力」にこだわってきた背景には、
確かにそういう思いがあったんだな、と
自分自身で思い出した……そんな数日間でした。

だから、もう一度書きます。

「聞き上手」とは「人の話を黙って聞く人」ではありません。

本当の「聞き上手」とは、
黙って話に耳を傾けるべき時には傾聴に徹して、
相手が「まだ話しきれていないことがある」と感じた時には
非常にうまく質問をして、“話を聞き出してくれる人”の
ことを言います。

「聞き上手」は、コミュニケーションの潤滑油です。

ちゃんと自分の話を聞いてくれる人がいると、
誰だって、心地よく話が出来るようになります。

さらに、話を聞いた人が興味をもって、質問をしてくれると、
「知りたい!」と思ってくれたその期待に応えようとして、
質問への答えを考えます。

すると、自分でも「新しい発見」をすることがあります。
これまで意識していなかった事柄に「気づく」ことが
あるんです。

誰とでも、楽しく、平和的に、
敬意と、好意と、興味をもって話し合えるような
そんな場所が増えればいいなと思っています。

【「質問」という行為への誤解を解く】と題して、
連投してきましたが、このテーマについては
いったん区切りをつけて、次回以降、
また「伝える力」なども含めて書かせていただきます。

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

今日も新しい気づきに感謝です。