こんにちは、コピーライターの佐藤秀治です。

Webで「情報過多」とか「情報過剰」とか検索すると
「脳疲労」とか「ストレス」とか「思考停止」とかネガティブな言葉が並びます。

でも「情報過多の時代」って、悪い時代じゃないはずなんですよね

たとえば戦前・戦中なんか、圧倒的に情報は乏しかったわけです。
すでに亡くなっている祖母が、二・二六事件の日の思い出を
「朝からラジオも鳴らなくて、シーンとしてた」と語っていたのを
思い出します(誇張や記憶違いがあるかどうかは、知りませんが…)。

テレビなんかない時代です。
言論統制も比較的簡単だったでしょう。

戦後、アメリカから持ち込まれた民主主義と
高度経済成長に支えられた暮らしの変化は、
テレビにラジオ、新聞などマスコミによって
豊かに肉づけされていったように思います。

教育の充実と自由な出版によって、世の中の教養レベルが上がっていったはずです。

とにかく、情報は、少ないよりも多い方がいいはず。

でも、最近は「情報過多」「情報過剰」とネガティブな論調が目立ちます。

「すぐに目につく情報」「手軽に見つかる情報」の質が下がった?

何でそんなにネガティブな話になっちゃうのか。
どこかで読んだ話では、人は「ネガティブな話に共感しやすい」んだそうです。
それはそれで、「なるほど」と思うのですが、それだけが理由でもないような……。

少し時代を振り返ってみますと……

バブル景気の頃には、雑誌やムックが大量に発行されており、「情報過多」という声もあったかと思います。

インターネットが普及し始めた90年代中盤からは、情報の検索・入手が容易になり、やっぱり「情報過多」という声が大きくなりました。
 ※ 1996年にYahoo! Japanがサービス開始。

2000年代に入り、『ホームページビルダー』などのソフトを使って多くの人がHPを作るようになった時代から、ブログ サイトの流行へと移行して、個人による情報発信がさらに手軽になると、ますます世の中は「情報過多」であるという認識が膨らんでいきます。

そしてiPhone 発売から10年以上経った今、Twitterから始まりFacebook、LINE、Instagramと、ブログよりもさらに手軽なSNSが隆盛を迎えると、「情報過多の時代」という表現に疑いを挟む人はいなくなりました。

個人的に一番強く感じているのは、「出版不況」という言葉があるように
メディア全体が活力を失っているんじゃないか、ということです。

先日のエントリーにて
まともな記事を公に発信するということは、非常に時間と手間のかかる作業なんです。
と書きましたが、その「時間」と「手間」を支えるお金が乏しくなっているように感じます。

つまり、じっくりと取材した記事が少ない。

ネットのキュレーションサイトなどは、独自取材せずに、大手メディアの記事や企業サイトからの引用、
テレビのバラエティーにおけるタレントの発言の書き起こしや、個人のSNSからの転用などを
かき集めて編集・構成していますから、そもそも情報の質は低いわけです。

ネットのおかげで「情報はタダ」という風潮も根強くなったようにも思います。
タダで手に入る情報は、当然質が低い。

テレビのワイドショーは、あれは報道局が制作した報道番組ではなくて、
バラエティ番組の一種ですから、まともなニュースを期待してはいけないわけです。

ネットには、「テレビはオワコン」なんてフレーズが溢れていますが、
Yahoo!ニュースなどを見ると、テレビのワイドショーやバラエティで芸人が
発したコメントを書き起こして、さもニュースであるかのように報じる読み物が
アクセスランキングの上位を占めています。

世の中は進んで、科学も進んで、情報化が進んで、
ホントに有益な情報もいっぱい出回っているし、出版もされているけれど
非常に手軽に手に入る範囲の情報は、何らかの「コピペ」ばっかり。

そんなノイズのような情報に、価値ある情報が埋もれがちになっているのが、
今の「情報過多時代」なんでしょう。

イメージとしては、太古の昔から綿々と続く「井戸端会議」が
ネットを通じて、とんでもなく肥大化した感じ。

子どもたちにとっては生きずらいでしょうね。
うわさ話や陰口なんてものまでが、ネットの中に刻印されちゃうんですから。

「情報過多」といいつつ、「情報」とは呼べないノイズもてんこ盛り

人は昔から、理性的・論理的・知性的に自分を律するよりも
感情的に振舞う方が楽じゃないですか。
自分自身そうなのだから、他人に理性的な言説ばかり求めても始まりません。

特にSNSが流行りだしてからは、見ず知らずの人の、極端な言説に直面する機会も増えました。
確かにあれは疲れるんですけどね。

でも、そんなノイズは、昔からあったわけでして、
江戸の瓦版なら、話に尾ひれがついて、空想が追加されて、
そもそも取材なんかしてないから憶測だけの伝聞ゲームなんて日常茶飯事でしたでしょう。
戯作の「忠臣蔵」だって、事実とは異なる話ばかりだと言います。
みんな、「事実」や「真実」よりも、
自分の見たいもの、聞きたいものを優先して来たんです。

昔授業で見せてもらった、戦後のカストリ雑誌も、他愛ないデマからひどいデマ、
くだらないエロ・グロ・ナンセンスに、ワケの分からない主張がてんこ盛り。

昭和・平成の出版業界だって、そりゃまぁ魑魅魍魎が大量に潜んでいたわけです。

私たち庶民の娯楽は、常に混沌としているわけです。
今さら、良く知らない人たちの言説に目くじらを立てる話ではないでしょう。

要するに、取るに足らない言説は、スルーしてしまうのがいいんです。

……でも、それが難しいんですよね。

やっぱりネットでネガティブな話を目にすると、
ついつい、気分が引きずられちゃいますし、
断固たる口調でウソを書かれると、ついつい信じてしまいます。

一次情報など、記事の根拠となる「出典」が示されない時点で、その記事は「価値なし」と判断して良し

と、長々と書いておりますが、結局のところ、「情報過多」「情報過剰」と
言われているその実態は、
有益な情報以上に、「特に価値のない情報」が溢れかえっている社会だと言えるのではないでしょうか。

ではどうするか?

まず、手っ取り早く、ノイズに過ぎない情報をスルーしちゃいましょう。
ネットメディアの記事であればまず、
大手メディアからの「引用(コピペ)」とSNSからの「転載」しかないような記事は
全力でスルーしてOK。

さらに、どこからか「引用(コピペ)」してきた内容を、
その出典元さえ明示せず、自分でほんの少し書き足した文章と混ぜ込んでいるような
悪質(稚拙)な記事は、完全に無視してください。

Webで調べ物をする際には、まず下記4点をチェックすると良いでしょう。

  1. 出典が明示されているかどうか
  2. 論拠の正当性を示す情報が記載されているかどうか
  3. その記事の内容を裏付ける、ほかの記事および資料が見つかるかどうか
  4. 文体に理性を感じられるかどうか

と、こうした話も、↓このワークショップでは「その時々のニュース記事」を見ながら、確認していただきたいと思います。
コピーライターのタネあかし! 本質をつかむための「多角的思考」

2月16日と、2月28日に行います。

ぜひ、お気軽にご参加ください。

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