こんにちは、株式会社プラップル コピーライターで
ソコキコ オフィシャルトレーナーの佐藤秀治です。

何というか、何も考えずに、人にレッテルを貼る行為
って、本当にイヤですよね。

今日も、考えさせられることがありました。

きっかけは、Yahoo!ニュースに載っていたこの記事。

ADHDを公表してみたら、こうなった~普通って、一体なんだろね?


小島慶子 | エッセイスト、タレント
12/27(木) 11:00

タイトルにある「こうなった」が、実際のところ
「どうなったのか」について、記事本文から一部
引用させていただきます。

 公表したことに対する反響の中には「アナウンサーは発達障害とは正反対の仕事だと思っていたので意外だった」という感想もありました。へえ、そういう発想もあるのか!としばし考え込んでしまいました。

小島慶子氏のラジオ番組は人気があって、知名度も
高い方。私は、あまり番組を聴く機会がなかったの
ですが、かねて知っているリスナーや、テレビで
知っていた人たちが、「ADHD」と聞いて評価を変
えたのかどうか…。

もしも、「ADHDだったのか」と分かった後で、それ
までの小島慶子氏に対する評価や、過去の番組に対
する印象まで変えてしまった人がいたとすれば、そ
れは残念な話です。ま、あくまで仮定の話ですが。

いずれにしても、これは「どうなった」の、ほんの
一部。温かい言葉をかけてくれる人も多数いらっ
しゃったようです。

記事全体を読むと、小島氏の知性の高さと品が感じ
られて、「ADHDのいったい何が問題なのか」、
傍から見れば分かりません。

ご本人も、わざわざ世間に公表する必要もなかった
でしょう。

しかし、前述したようなネガティブな反応も予想さ
れたであろう中、きっぱりと公表に踏み切られた。

その理由を、下記に引用させていただきます。

なぜADHDを公表しようと思ったのかとよく聞かれるのですが、もともと周囲の人には話していたこともあり、公表するぞ!という意気込みはありませんでした。ただ、発達障害という言葉が浸透するにつれて、不吉なもののようにいう人や、人との違いを強調するために安易に使う人が増えてきたように感じたので、改めて考える機会を持って欲しいと思いました。
 発達障害は、ある人にとっては深刻な困りごとであり、ある人にとっては大切なアイデンティティ(自分らしさ)でもあります。それに、ちょっと人と違うところがあるとか、生きづらさを感じる原因を、障害だけで説明できるものではありません。人は複雑で、一言で説明できる存在ではないのです。

日本精神神経学会は2014年5月28日に、
「注意欠陥多動性障害」の表現を改めて
「注意欠如多動症」としています。

しかし世間的には、ざっくりと「発達障害」と括
られて語られます。

「ADHD」でググった時の検索上位にある記事も
「注意欠陥多動性障害」という記述のものだった
りします。

それにしても「発達障害」って
何なんでしょうね。

正直、よく分かりません。

一括りにできるほど、単純な症状ではないとい
うことだけは、理解しています。

全部が全部、「マイナス」なことではないわけ
ですが
、それでも印象としては「負のレッテル」
になってしまっています。

「障害」があるんだから、「正常」があると
思わされるわけです。

しかし、小島氏も記事に書いてある通り、人間の
頭の中なんて、十人十色。

みんな異なるわけで、突き詰めれば、視覚情報とし
て「その目で見ている世界」そのものが、どこかし
ら異なるわけです。

だって、左右の目でとらえた画像を脳で処理して
奥行きのある立体画像にしているわけですし、
カメラが違えば写真の仕上がりも違うように、
それぞれが認識している色合いだって、微妙に異
なります。色覚異常に限らずね。

それに、脳が認識していないものは、そもそも
「見えない」ということだってあるわけです。

心の中だって、十人十色。

何が「正常」なのかは、不明確です。

そんな状況の中、「発達障害」という言葉だけ
で簡単に、「常人より劣っている人」的なレッテ
ルを貼ってしまう世の中は、非常に危うい

思うわけです。

最近、いい年齢になってからADHDと診断を受
けて、周囲にカミングアウトした友人もいま
すが、だからといって、周囲にいる私たちが、
その友人を見る目が「悪く変わった」わけでは
ありません。

どちらかというと、本人が、

「自分の努力が足りないせいかと
思っていたけど、ADHDが原因だと
ハッキリ分かってスッキリした」

ということが大事なこと。

世の中には、いろんな人がいて、いろんな
環境、いろんな条件の中で生きています。

でもそれは、それぞれの優劣を決めるもので
はないですよ。

そんなシンプルな真実が、「障害」という
言葉の前に、ついついかすんでしまうことが
非常に気になるようになりました。

この世の中を、少しでも良くしていくためには
相互理解が重要です。

互いに、敬意を持ってコミュニケーションを
行うことが不可欠です。

改めて、そんなことを思いました。

長文、失礼いたしました。