以前に、【日本人は、なぜ「質問しない」のか?】という
エントリーをアップさせていただきましたが、最近改めて
このテーマについて考える時間が増えています。

1つには、『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』(新潮文庫)
という本に描かれていた、
「当事者の話を聞かずに、モノゴトを断じる姿勢」に
非常に強い嫌悪感を抱いたことがあります。

保護者からの申し立てだけを大切にした
校長と教頭は、罪もない担任教師に、
「何が起きているか」の説明もせず、
「本当のところ、何があったのか」を聞くこともせずに
ものすごい冤罪に、教師を追い込んでいく端緒を開きます。

これは本当に気色悪かったです。

もう1つは、『日本型組織の病を考える』(角川新書)
という本で読んだ、「郵便不正事件」の冤罪を生んだ
検察の、調書作成への取り組み方です。

結論ありきで、誘導尋問を重ねるだけで、
真相究明に向けた「ごくまっとうな質問」が一切行われず
調書が、好き勝手に「作文」されていました。

これも、本当に気色悪かったです。

なのですが……

どちらもしかし、悪人じゃないんですよね。

前者の、校長と教頭は、保護者の訴えに対して、
「事なかれ主義」で、極力波風を立てずに納めたかった
だけ、ということも出来るでしょう。

教師側に、体罰と受け取られかねない行為があったのなら、
それをさっさと認めてしまって、謝罪すれば、保護者の気も
収まるだろうという、その程度の認識で行動していたと
推測できます。

小学校を預かる責任者として、「自分たちがうまく事を
収めなければならない」という思考も
強く働いていたでしょう。

少し下世話に想像すると、
教育委員会の耳に不祥事が届けば、自分たちの
キャリア、または退職金に影響が出るという打算も
あったのではないでしょうか。

日本の行政は減点主義ですからね。

…話を戻しましょう。

後者の、調書を作文する検事たちに至っては、悪者どころか
「社会正義を守る、正義の番人」的な思い込みがあって、
「政治家とつるんで悪いことをしたキャリア官僚」を
是が非でも有罪に追い込もうと、意気込んでいたように
見えます。

立場を変えて、検事視点で考えると、確かに
自分たちが、“本命の容疑者” と目しているキャリア官僚が
「記憶にありません」と答えたら、

「おー、不正を働く政治家と同じ答えじゃん!」って
思いますよね。

そう考えると、村木厚子氏の話をロクに聞かずに、
「犯行動機」や「犯行方法」など、自分たちの聞きたいこと
に質問が集中するだけでなく、
「犯行動機」や「犯行方法」の自白以外の言葉に
耳を貸さない心理状態が生まれることも想像できます。

でも、この冤罪事件では、物的証拠まで改ざんするなど、
検察が本気で暴走してしまい、彼らの「正義」からも
逸脱してしまいます。

大変な事件です。

…と、事件の追及は今は横におくとして、
この2件の「ヒアリングの失態」に共通するのは、
「質問する側(校長&教頭、検察)」の頭の中に、
強烈な先入観……勝手に決めつけたストーリーが描かれている
ということです。

しかも、自分たちが

このストーリーに沿わない「当事者の発言」を積極的に
無視しています。

この思い込み!

そして、この「思い込みによるミスコミュニケーション」って、
日常のあらゆる場面で、よくあることなんです。

インタビュー取材が「仕事」であるはずの、プロのライターでも
【取材前の思い込み】によって、取材開始から1時間経っても、
お客様がすでに「否定」している事柄を、しつこく聞いてしまう
という失態を犯すことがあります。

これ、私、共同取材の場で、実際に目撃しています。
詳しくは言えませんが、
共同取材が終わった後で、インタビュー対象である
お客様が、

「それぞれの記事が、どういう風に違って出来上がるのか、
楽しみだねぇ」

と、笑顔で仰っていたのを、強く覚えています。

比較した結果、お客様がどう思われたのかは分かりませんが、
私が提出した原稿の方は、お客様による手直しもほとんどなく
世間に公開されました。

じゃぁ、どうやったら、「思い込み」を排除して、
人の話を聞くことができるのか?

それについては、また次回お話させていただきます。
お読みいただきありがとうございました。
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今日も新しい気づきに感謝です。